政治学者 高橋 肇のブログサイト。 政治学を中心とした学術的なテーマを掲載。 その他のテーマは、たかはしはじめ日記へ。

 

Hajime TAKAHASHI's Politics

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政治学B(中京/2007秋)の記事一覧
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2008
01/13
Sun
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第14回/2007秋) 

立憲主義とは何か?
近代以前の立憲主義 と 近代以後の立憲主義

どちらが本当の意味での立憲主義か?
これをめぐる対立がある

近代以前の立憲主義=「本来的意味」での立憲主義(八木の理解)
近代以降の立憲主義=「立憲的意味」での立憲主義(長谷部の理解)

「一般に「憲法」という言葉には、およそ二つの意味があります。これを「憲法の二重性」といっていいでしょう。
  一つは本来的意味での「憲法」という概念です。その国の組織やあり様、仕組み、あるいはその仕組みが出てくるに至る政治的伝統や文化、そういったものをあらわしたもの、これが本来的意味での「憲法」です。 
 しかし、憲法にはもう一つの意味があります。近代的意味での「憲法」というものです。
 17世紀から18世紀にかけて、欧米では絶対主義の支配を打倒すべく、市民革命が起こりますが、この市民革命によってでき上がった政権を正当化するために憲法がつくられたのです。 革命政権を正当化するにあたって依拠したのは、社会契約説という政治思想でした。 これが色濃く反映されているのが、例えばアメリカの独立宣言やフランスの1789年人権宣言、1791年、93年の憲法です。」八木秀次2003(p.19-21)


「近代以降の立憲主義とそれ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。
近代立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とする。
 それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。
 人々の社会生活を規律する法を定立し、変更する排他的な権限が主権者の手に握られた以上、社会内部の伝統的な慣習法に依拠する中世立憲主義はもはや国家権力を制約する役割を果たしえない。
 近代国家成立後になお意味を持つ立憲主義は、その意味でも、国家権力を外側から制約する狭義の立憲主義、つまり近代立憲主義に限られる。
 近代立憲主義に基づく憲法を立憲的意味の憲法ということがある。
 フランス人権宣言第16条が「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、憲法を持つものとはいえない」とするとき、そこで意味されているのは、立憲的意味の憲法である。」長谷部恭男2006(p.69-70)

何が本当の立憲主義か?
①「法の支配=制限政治」的理解
近代以前の立憲主義こそが「本来的意味」での立憲主義である。(八木の理解)
②社会契約説的理解
近代以降の立憲主義こそが「立憲的意味」での立憲主義である。
 ②- A「自由主義=制限政治」的理解
 ②- B「多元主義=制限政治」的理解(長谷部の理解)



立法者と憲法制定権力
①「法の支配=制限政治」的理解
  ①-A「神の意思(神の法)」による権力制約
  ①-B「古きよき法」による権力制約
  コモン・ローとデモクラシーの関係
  デモクラシーと憲法制定権力との関係
②社会契約説的理解
 ②-A「自由主義=制限政治」的理解
  人民主権(国民主権)=人権保障=権力の制限
 ②-B「多元主義=制限政治」的理解
  立憲主義による民主主義の制限
  (社会の)外側からの権力制限



民主主義の役割
「民主主義はさまざまな役割を果たしうるシステムであり、いろいろな立場から異なった仕方で正当化できるシステムである。
 しかし、最低限、民主主義が果たしているのは、人々の意見が対立する問題、しかも社会全体として統一した決定が要求される問題について結論を出すという役割である。 
 経済的・文化的な環境が整っていることも大事であるが、それと並んで、民主主義が良好に機能する条件の一つは、民主主義が適切に答えを出しうる問題に、民主主義の決定できることがらが限定されていることである。
 その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目である。」長谷部恭男2004(p.38-41)



本来的意味での立憲主義?か、立憲的意味の憲法?か
「どちらが本当の憲法か?」という 本家争いを越えて
憲法と立憲主義の歴史的実像の把握へ
史的憲法の実像とは?
史的立憲主義とは何か?

「歴史的に特殊なもの」としての憲法と立憲主義


立憲主義と憲法の過去・現在・未来
「本来的意味の憲法」に過度に縛られることなく、
近代国民国家的な「立憲的意味での憲法」の成立の歴史的役割を評価しつつ、
近代立憲主義の史的把握と
それぞれの時代と社会における特殊性の把握へ
→憲法と立憲主義の制御工学へ



通常政治と憲法政治
(長谷部『何か』第4章の議論)
二元的民主政=「憲法政治」と「通常政治」の区別
「立憲主義」による「民主主義」の制限
「公」と「私」の区分

憲法制定権力と立法者の区別
社会の外側からの権力制約と内部からの権力制約の区別

社会の外に立つコード権力の創設行為としての立憲主義
• 「法の支配」ではなく、憲法コードによる支配
• 歴史的に特殊な過程としての憲法政治過程
「立憲主義とは、『憲法は遵守されなければならないという人々の確信』である 。」という定義(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.2)

• 憲法コードの創設行為はいかに正当化されるか
コンスティテューショナル・エンジニアリングへ
憲法的コードの創設と権力制限
「解釈改憲は不誠実な法治主義」
←近代立憲主義による外側からの権力制約の意義

国民国家単位での権力制約
連邦憲法における州(state) 権力の制約
グローバルな立憲体制へ





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Posted on 10:57:12 «Edit»
2007
12/18
Tue
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第13回/2007秋) 

日本国憲法について
第13 回
八木秀次『 日本国憲法とは何か』
• 日本国憲法の成立過程
• 日本国憲法をめぐる論点

• 第1~3章、8~10章を読む。

日本国憲法の功罪と系譜
マッカーサー草案について
日本国憲法をめぐる諸問題と改憲
憲法とは?(第1 章)
憲法には「二重の意味」がある。

• 本来的意味の憲法(p.19)

• 近代的意味の憲法(p.21)
– 社会契約説( 物語) にもとづいた憲法

• 日本国憲法における「本来的意味の憲法」の欠如(p.23)
社会契約説の限界(p.25)
• 日本国憲法は社会契約説のみにもとづく
– 社会契約説は「個人」から出発
• ロックにおける「神- 個人- プロパティ」

• 共同体(国家)理解の限界
– 例えば、「国防」について説明できない。

世界で15 番目に古い憲法(p.27)

社会主義色の強い憲法(p.28)

改正問題の棚上げ(p.31)

グローバル化と憲法(p.32)
(湾岸戦争以降の憲法問題)


解釈改憲は不誠実な法治主義


グローバルな立憲体制





日本国憲法の功罪( 第2 章)
• 有事を想定していない
• だれが元首なのか
• 「まだ改正していなかったのか?」
– 「いい憲法」
• 個人主義の行き過ぎ
• 憲法の正統性
• 護憲派と改憲阻止派と改憲派
• 立憲君主制と主権
• 人民主権論と国民主権論
( 続き)
• 非武装中立と平和
• 「公共の福祉」~公共性と個人の自由
• 平等と合理的差別
– 性、年齢、国籍、地位 、、、
日本国憲法の系譜( 第3 章)
• さまざまな思想が混在
– バジョット、ロック、リンカーン、スターリン憲法
• 間接民主主義と直接民主主義
– ザ・フェデラリストの系譜
• ( 直接民主主義への警戒と共和制( 代表民主政) への強い支持)
– ザ・フェデラリストとモンテスキュー
– ルソー的直接民主主義論の影響
• 議会主義と直接民主主義
• 近代国家は、なぜ間接民主主義なのか?

明治憲法について( 第7 章)
• 明治憲法をどう評価するか
• 受動的君主(立憲君主制)か能動的君主か
• 内閣制の弱体と元老による補完

• 内閣制不全 と議会制機能不全の立憲君主制としての明治憲法体制

マッカーサー草案と憲法( 第8 章)
• マッカーサー草案と松本草案
• 松本案における「議院内閣制の実質化」の努力
• マッカーサーと極東委員会( 対日理事会)
• マッカーサーノート
– 天皇は元首、戦争と自衛権・交戦権の放棄、封建制度の廃止
• GHQ案をもとにした日本国憲法
– スターリン憲法と憲法研究会
八月革命説は有効か?
• 美濃部達吉と宮沢俊義(p.173)
• 憲法改正の法理
– 憲法改正限界論と憲法改正無限界論
• 基本原理の変更をめぐる対立

• 天皇主権から国民主権への基本原理の転換(法学的意味での革命)

• 立憲主義と主権という問題
– (明治憲法評価と中世的立憲主義と混合政体論)
国防と教育について( 第9 章)
• 世界連邦( 連合国= 国連) 構想と日本国憲法
• 集団的自衛権の行使をめぐって

• 国家の教育権?

• 表現の自由とプライバシー


改憲すべきはどこか?( 第10 章)
• 前文
• 第1 条
• 第13 条・第24 条
• 第20 条・第89 条
• 第27 条
• 第99 条
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2007
12/18
Tue
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第12回/2007秋) 

市場社会と立憲制度
市場社会における立憲制度の意味について考える。

市場と立憲主義
• 「市場経済を典型とする独自の経済生活の領域が公と私の緩衝材として働く社会の方が、立憲的民主主義は良好に機能する。」
(『平和』p.104)
主権の構築
• 「近代国家の主権は、教会・大学・同業者組合など、国家と個人の間に位置する社会内部の中間団体の保持してきた特権を絶対君主が吸い上げ、国内で最高にして国外に対して独立の政治権力を確立することで成立している」(『平和』p.90)
憲法はどう使われたか?
• 軍事・政治的要因
• (外交)軍事と(内政)治安
• 経済的要因
• 国際市場(通商・貿易)と国内市場(流通・契約)
• 統治と民主化(戦争への動員、経済成長への動員)
立憲主義の要素
• 対外的主権
– 分離・独立・自由・対等
– 軍隊・安全保障
– 通商・貿易

• 対内的主権
– 治安・安全・流通・契約
– 立法権・行政権(元首・政府・議会)
– 金融=中央銀行
– 戦費調達・課税権(戦争への動員、成長への動員)
– 人権保障

再び、
カール・ポランニーの議論
を手がかりに。
• 以下、カール・ポラニー『大転換』より引用。
「金融--これは影響力を与えるチャンネルのひとつであった--は、多数の小さな独立国家の政策決定にたいする強力な調整者の役割を果たした。」

• 「貸付とその更新は信用にかかっており、その信用は行動のあり方にかかっていた。立憲政府(立憲制でなければ強い難色が示された)のもとでは、行動は予算に反映されたし、通貨の対外的価値は予算に対する評価と切り離しなかった」(p.17)
「ある国が金本位制を一度採用すれば、この有益な格率が強力な行動準則となった。そしてこれは変動しうる幅を最小に限定することになった。」

• 「金本位制と立憲制は、新しい国家秩序への忠誠を象徴するこれら二つの制度を採用した多数の小国に、ロンドンのシティの声を伝える媒体であった。」(p.17)
「パックス・ブリタニカは、ときには重艦砲の不吉な威厳でその権勢を維持することもあったが、それより頻繁に、国際通貨の網の目の意図を適宜たぐりよせることによって、その座を保持したのであった。」(p.17)
国際的な金融が
各国の政策決定にたいする強力な調整者であった
「信用としての立憲政府」

立憲政府の行動は予算に反映され、予算に対する評価は通貨の対外的価値と不即不離の関係をもつ
「アメリカ憲法は、農夫・職人的環境のなかで、イギリスの産業的光景から事前に警告を受けた指導層によって作成されたものだが、それは経済領域を憲法の支配から完全に隔離し、それによって私有財産をこれ以上考えられないような保護のもとにおき、世界で唯一の法的基礎をもつ、市場社会を創出したのである。」(p.302)
主権性の創造

徴税・通商・信用

(信用確保のための行政と司法)

阿川尚之『憲法で読むアメリカ史(上)』(PHP新書)より。
1)徴税

「第一に、連合規約のもとで議会には徴税権がなく、自身の財源がなかった。各州に資金の提供を求めることができても、強制はできない。」(p.60)

~独立戦争の戦費負担
2)通商

「第二に、連合議会には通商規制権がなかった。・・・独立と同時に各州が独自の通商政策をとるようになり、さまざまな通商摩擦が生じる。・・・独立を達成したことによって、かえって通商問題が発生し、アメリカ全体としての通商活動が阻害。」(p.60)

~交易・通商問題の発生
3)信用

「第三に、・・・各州の議会が、徳政令を発布して借金を帳消しにしたり、通貨を濫発したり、あるいは裁判所の判決を無効にしたり・・・。連合議会は独自の行政権も司法権も有しないので、州に対し命令を発してこうした政策を正すことができない。」(p.61)
州に対する次の行為の禁止

(通貨鋳造、契約無効、徳政令発布、遡及効を有する法律の制定、関税賦課などを禁止する規定)

=信用しうる政府(債権者にとって信用しうる政府)
立憲主義とは何か?
• 立法権と執行権の分離という原則へ~信用創造
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.1)
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Posted on 13:13:10 «Edit»
2007
12/10
Mon
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第11回/2007秋) 

第11 回(12/4)
立憲制度と民主主義
民主主義とは何か?
(長谷部『何か』p.72-)

デモクラシー=「多数者の支配」

「長いあいだ、デモクラシーはマイナスのシンボルだった。」

「多数者の支配」に対する嫌悪

議会制への批判と擁護
• シュミットの議会制批判
個別利害の妥協の場としての議会
(≠真の公益)

• ケルゼンの議会制擁護
多様な利害の調整こそが政治のなしうる最大限
現実的な妥協の場としての議会
党派的利害の調整と討議民主主義
• ハーバーマスの議論
公益の実現を目指した討議は可能
公論の喚起と、公論の議会への反映

• アメリカ建国期の議論(マディソン)
党派と「大きな共和国」

• デモクラシーよりも、リパブリック( 共和制)
• democracy  から res publica  へ
アメリカのデモクラシー
デモクラシーの徹底としての
ファシズムと共産主義


リベラル・デモクラシーとしての
現代のデモクラシー
民主主義を支える立憲主義
• 民主主義的政治実現のための自己拘束としての憲法
• プレコミットメントとしての憲法

なぜ民主主義なのか?
(長谷部『問い直す』p.18-)
• なぜ多数決なのか?
「どのような場合には多数決で結論を出すべきではないか」
「民主主義に対してどのような制限が立憲主義によってかけられるべきなのか」

なぜ多数決なのか?
1)自己決定の最大化=単純多数決
全員一致は少数者の反対による決定不能を生む
2)功利主義(最大多数の最大幸福)
選択肢は単純ではない/幸不幸は計量不能
3)個人の同等性(各人を公平に扱う/個人の対等平等)
結論の善し悪しにかかわらない
4)コンドルセの定理
正しい判断をする確率/単純多数決が正しい結論を選ぶ確率

~~~党議拘束と専門的意見
なぜ民主主義なのか?
1) 民主主義( 多数決) は、正解に近づくための手段という見方
~~功利主義/コンドルセの定理

2) 正解はないのだから民主的な手続きにしたがって出た答えに従うしかないという見方
~~自己決定の最大化/個人の同等性
1) 正解に近づくための民主主義
1) 参加すること自体の意義
~公共空間への参加、討議と決定への参加
←民主主義の過剰評価?
  → 適度な政治参加、政治参加は目的か?

2) 功利主義の民主主義観
~自己利益に基づいて行動する結果、社会全体の幸福の最大化が導かれる
2) 手続きとしての民主主義
 「民主主義はさまざまな役割を果たしうるシステムであり、いろいろな立場から異なった仕方で正当化できるシステムである」(p.38-39)

 しかし、「最低限、民主主義が果たしているのは、人々の意見が対立する問題、しかも社会全体として統一した決定が要求される問題について、結論を出すという役割である。」
民主主義の限界
 「民主政治は、社会の根幹にかかわるような問題を解決することはできない」(p.40)

 「戦争や独裁を通じてしか解決し得ないような深刻な問題もある」

民主的には決めるべきではない問題群がある
=立憲主義による民主主義の制限!!
民主主義と立憲主義
 「民主主義が良好に機能する条件の一つは、民主主義が適切に答えを出しうる問題に、民主主義の決定できる事柄が限定されていることである」(p.41)

 「その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目である。」(p.41)
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Posted on 09:20:16 «Edit»
2007
12/04
Tue
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第10回/2007秋) 

第10回(11/27)

国民国家体制と立憲制度
論点(第5回)
• イギリスにおける内閣制の発展/立憲君主制との関係/「古き良き国制」
• フランス革命後/混合政体化への長い道のり
• 断絶としてのロック的合理主義/モンテスキュー的混合政体
• アメリカ独立宣言におけるロック問題/合衆国憲法制定におけるモンテスキュー的国制
• アメリカにおける混合政体論/フェデラリストとモンテスキューと合衆国憲法

アメリカ政治制度の植民地的起源
• 「1600年代に入ると・・・植民地に適用されるルールの制定と、総督および総督への助言を行う参議会の任命は特許状を受けた新領主が行う」
• 「しかしこのシステムには重大な問題が残されていた。植民地には警察力も常備軍も存在しなかったのである。」
• 「新領主たちは、植民者たちの服従を確保しうる唯一の方法は、その代表にルール定立に協力させることにより、決定過程への参画を許すことだと速やかにみてとった」
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.14)
イギリス植民地の統治機構( 概要)
• 総督
  国王から特許状を得た会社や個人が任命(国王による特許状の破棄、国王による総督の任命)~重要な植民地官吏の国王による任命
• 参議会
  少数の有力者からなる総督の諮問機関
• 植民地議会
  1688年の名誉革命以来、本国の下院になぞらえられ、威信が高まる。

国王の利益を代表する総督と
選挙民の代表である議会の対立
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.15-16)

イギリス本国との関係
• 「一般的には、本国政府は植民地支配にあまり熱心であったとはいえない。」
• 「ただし、二つの領域においては、本国政府は大変積極的であった」
• 「その一つは、戦争である。」
  「アメリカの民兵はイギリス陸軍に編入され、植民地の人々は軍費と軍備の補給に協力した。しかし、この場合でも、その手配は植民地議会が行ったのである。」
• 「もう一つの領域は貿易である。」
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.17)
本国と植民地における理解のずれ
• 「要するに、イギリス人とアメリカ人は、大英帝国における政府の権能について異なった考えを持っていたのである。」
• イギリス側:イギリス政府が至高の権能を有する。植民地議会に任せるところは任す。
• アメリカ側:自分たちが代表を送っている植民地議会による同意なしにはイギリス議会はアメリカに手を出せない。
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.17-18)

戦費負担と課税問題での対立
• 1756-1763 年の七年戦争(イギリス&植民地vs. フランス)の戦費負担問題
• 課税問題に発展
• 1765 年印紙税法(印紙不買運動と印紙税法廃止)
• 1767 年タウンゼント諸法( 交易規制による課税、イギリス商品ボイコット運動)
• 1773 年茶法(ボストン茶会事件)
• 1774 年大陸会議召集から独立宣言(1776 年) へ

State における立憲主義
• 1776 年に大陸会議が独立宣言を採択したのに続いて、個々の植民地もイギリスからの独立を宣言した。」
• 「大半の邦(state) は新政府を樹立するための新しい憲法を起草した。」
• 「それらの邦は一つの例外もなく、王政や貴族政ではなしに、共和制を選択した」
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.27-30)

邦憲法により樹立された政府
• 「おおむね、植民地時代の経験に基づくものであり、大半は知事、司法府、そして二院制をとる立法府により構成」
• 「下院が上院よりも強い権限」
• 「裁判官に対する行政の干渉を避けるため、最大限に司法の独立が保障」
• 「根本法=『 憲法』 すなわち、政府といえども従わなければならない根本的諸原則がある。」「本国との抗争の中で、・・・アメリカ人たちは『 立憲主義』 を信奉するようになった」
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.29)
• 恣意的政府の排除
立憲主義とは何か?
• 立憲主義とは、「憲法は遵守されなければならないという人々の確信」である
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.2)

• 立法権と執行権の分離という原則へ~信用創造
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.1)
共和主義的伝統とロック的断絶
• 「アメリカ革命の思想的背景について・・・・今では、ロックの影響を単純に主張することはできなくなっている。」
(大森雄太郎『アメリカ革命とジョン・ロック』p.3)

• 「革命の『 信念の大きな背景』 となったのは、ロックではなく、植民地人が18 世紀前半のイギリス本国から受け継いだ『 共和主義』 だった。」
(大森雄太郎『アメリカ革命とジョン・ロック』p.4)
共和主義的伝統とロック(1)
• 「第一に、ロックは自然法や自然権といった概念を用い、これらの概念を前提として合理主義的な議論を展開した。
• これに対して『 共和主義』 は、『 古き良き国制』(the Ancient Constitution) という理想的な混合政体がイギリスの過去にあったと想定して、君主政、貴族政、民主政のバランスによって、『 共和国』 の自由が保障されると主張する。
• 合理的思考vs. 歴史的思考
(大森雄太郎『アメリカ革命とジョン・ロック』p.3)

共和主義的伝統とロック(2)
• 「第二に、ロックはいわば商業社会の申し子であって、商業社会に適した個人主義的な権利の主張を展開した。
• これに対して『 共和主義』 は、商業を政治的・道徳的な『 腐敗』(corruption) の元凶とみなした。そして、農業に立脚した独立の市民が、自己の利益をかえりみず、『 公徳心』 をもって『 共和国』 に貢献することを要請する。」
• 「ロックが権利の言語を語ったのに対して、『 共和主義』 は義務の言語を語った」
(大森雄太郎『アメリカ革命とジョン・ロック』p.3)
コモンローの伝統とアメリカ憲法
• 「アメリカの法に・・・・最も大きな影響を与えたのはコモン・ロー、すなわち、・・・・イギリスの裁判所が積み重ね、発展させてきた法準則である。」(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.7-8)

• 「国王と議会の協働」としての主権
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.25)


コモンローとロック
社会契約説と混合政体論( 「古き良き国制」)

ロック的合理主義とモンテスキュー的国制

ジェファーソン的共和主義( 共和派) とハミルトン的共和主義( 連邦派)
連邦派vs. 共和派
• 連邦派(Federalists) からの共和派(Republicans) の分離
• ハミルトンvs. ジェファーソン/マディソン
• 混合政体( 親英的、貴族政的)vs. 共和国( 自由と平等)
• 秩序ある自由社会( フランス革命後のデモクラシーの過剰)vs. 平等の権利( 独立の自営農民)
(M.L.ベネディクト『アメリカ憲法史』p.41-50)
• 「強力な政府」と「自由」
• 「党派的対立」と「民主主義」

明治憲法をどう評価するか
外見的立憲主義とは何か?
• 混合政体としての明治立憲体制

• 受動的君主(立憲君主制)か能動的君主か
• 内閣制の弱体と元老による補完
• 内閣制不全の立憲君主制としての明治憲法体制

リベラルな議会制民主主義
ファシズム/共産主義

• シュミットの議会制民主主義批判=民主主義の貫徹による議会主義の否定=「公開の場における大衆の喝采を通じた治者と被治者の自同性」=人民意思を代表する指導者

議会制民主主義より民主主義的な体制としての「ファシズム」と「共産主義」 ~ファシズム(民族主義)と共産主義(階級主義)

多元化と分裂の否認、友敵の区別、国民の同質性・均質性の達成
議会主義の危機に対する反動
権力と自由、党派と民主主義
• 強力な政府と民主主義(権力と党派の結合)
• 党派的対立と自由の抑圧(民主主義による自由の抑圧)

• 強力な政府と自由(党派と闘う権力)
• 党派的対立と民主主義(自由と民主主義のバランス)

• 立憲的権力と自由と党派vs. 平等と民主主義
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Posted on 06:44:05 «Edit»
2007
11/21
Wed
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(レポートその3/2007秋) 

レポート課題(その3)は次の通りとする。

■課題 テキスト『これが憲法だ!』を読み、その中で取り上げられている論点(長谷部と杉田の論争点)をひとつ以上取り上げ、それについてコメント(感想と自分の意見)を述べよ。
これが憲法だ! (朝日新書)これが憲法だ! (朝日新書)
(2006/11)
長谷部 恭男、杉田 敦 他

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■注意 引用にあたっては、引用部分をかぎかっこで囲むと同時に、引用文献(著者名、著書名、出版社、出版年、ページ)を必ず明示すること。
■提出日 12/11の授業時
(遅れて提出の場合には、12/18の授業時まで受け付ける。その際の評点は80%とする。それ以降の提出は受け付けない。)

レポートの採点基準と提出様式についてはここをクリック
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Posted on 06:37:52 «Edit»
2007
11/21
Wed
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学(第9回/2007秋) 

第9回(11/20) 立憲制度と戦争

長谷部『憲法と平和を問いなおす』第Ⅲ部

ホッブズの社会契約論
「万人の万人に対する闘争」
「比較不能な価値観の深刻な対立状況」
「いかに平和な社会生活の枠組みを築くか」

「自己保存のために自然権を行使する無秩序状態」

モンテスキューとルソーにおける自然状態=平和状態
「ホッブズとルソーの違いを過大に評価すべきでない。」(p.116)
ルソー「私有財産制度が生まれるや、人間本来の必要とは無関係な利欲、嫉妬心、競争と対抗意識が生じ、そこから果てしない紛争と恐ろしい無秩序が到来したであろうことを認めている」
「財産の危険に怯えた富者層のイニシアティヴで、しかしすべての人の安全を保障することを名目としつつ国家が設立される。」(ルソー)

ホッブズの関心は最初からこの無秩序状態にあった
そのうえで、
ルソーの指摘「複数の国家相互の関係がなお自然状態にある」

国家間の戦争を引き起こす
ルソーの提案その1)
「常備軍を廃止し、訓練された民兵を組織すべき」(p.120-121)
ルソーの提案その2)
「国家間の同盟を通じて平和を達成すべき」(p.122-123)
⇔(主権を単一の世界政府に移譲)
ルソーの提案その3)
「国家という約束事(社会契約)を消滅させる」(p.124-125)


平和主義と立憲主義は両立するのか?

調整問題状況と囚人のジレンマ状況(p.131-)
チキンゲーム状況(p.141-)
集団安全保障の困難
1)実際的な困難(p.152-)
2)原理的な困難(p.156-)

選択肢
1)穏健な平和主義
2)人民武装
3)組織的な非暴力不服従
4)善き生を全うする絶対平和主義
5)世界警察または帝国

長谷部の選択は
1)穏健な平和主義
「ともかく軍備を放棄せよという考え方は、『善き生き方』を教える信仰ではありえても、立憲主義と両立しうる平和主義ではない。」(p.179)


国民国家体制と戦争
立憲主義と平和主義の問題とは、国家の自衛権と集団安全保障の問題にほかならない。

国家の自衛権と集団安全保障の問題について
以下、豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』 (岩波新書 より)
集団的自衛権とは何か (岩波新書 新赤版 1081)集団的自衛権とは何か (岩波新書 新赤版 1081)
(2007/07)
豊下 楢彦

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「そもそも国連憲章は、『すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、・・・・慎まなければならない』(二条四項)と規定して武力行使禁止原則を謳っているが、次の三つの場合にのみ武力行使が認められている。」
「その一つが、『平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為』の発生に対し、安全保障理事会(安保理)の決定に基づいてとられる『軍事的措置』の場合である(四二条)。
この措置は、国連の名において実施される点で『公権力の行使』にたとえられ、集団安全保障と呼ばれる。」
「あとの二つは、憲章五一条に規定されているもので、加盟国に対する『武力攻撃が発生』し、安保理が必要な措置をとるまでの間に認められる、個別的自衛権の行使と集団的自衛権の行使の場合である。」
「『仮想敵』を想定せず安保理の管轄下で実施される集団安全保障(collective security)と、共通の『仮想敵』を設定し、安保理が機能するまでの間においてのみ認められる集団的自衛権(collective defense)とは、根本的に異なった概念なのである。」(以上、豊下前掲書、「まえがき」より)

国家の自衛権と集団安全保障の問題

個別的自衛権~国家の主権の行使
集団的自衛権~国家間同盟

集団安全保障~国連・世界警察・帝国

集団的自衛権と集団安全保障の区別と理解については、日本政府の見解も含め極めて不充分な状況にある。集団的自衛権の行使は、現行憲法において明確に否定されている。
この立場は、国連安保理の管轄下で実施される集団安全保障への積極的参加という立場と固く結びついている。憲法9条は、国連憲章42条と相補的な理念である。


選択肢

1)穏健な平和主義
2)人民武装
3)組織的な非暴力不服従
4)善き生を全うする絶対平和主義
5)世界警察または帝国


とるべき選択は

1)穏健な平和主義

5)世界警察または帝国

なぜ国境があるのか?(長谷部『何か』終章)
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Posted on 07:23:17 «Edit»
2007
11/20
Tue
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第8回/2007秋) 

第8回(11/13) 立憲制度とはなにか(再論)


阿川尚之『憲法で読むアメリカ史(上)』より。
憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)
(2004/09/16)
阿川 尚之

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アメリカ合衆国はいかにして建国されたか?
1)「アメリカ独立宣言」による建国ののろし
「1776年のこの日[7月4日]フィラデルフィアで、トマス・ジェファソンが起草した独立宣言に13植民地(州)連合の代表が署名し、独立を目指す共通の意思を確認した。」(p.56)
~独立主権国家設立の宣言
2)「パリ条約」による独立の承認
「しかし植民地が独立を宣言しても英国はこれを認めず、武力による革命の鎮圧を引き続きめざした。」「外交努力の結果、イギリスの宿敵フランスがアメリカを国家として承認し、同盟国として援助の手を差し伸べた」「1783年に調印されたパリ条約によって、英国をはじめとする列国はアメリカを主権国家として承認し、これによってこの国の独立が確定した。」
~主権国家システム内での承認
だが。。。
「英国からの独立はアメリカ合衆国誕生にとって必要条件ではあったが、十分条件ではない。」「独立宣言とパリ条約によって誕生したのは1つの国家ではなく、実際には13の独立主権国家だった。」(以上、p.57)

3)「合衆国憲法」の発効と連邦政府発足による1つの独立主権国家の誕生
「1787年の夏、各州の代表がフィラデルフィアに集まり四ヶ月かけて起草したのがアメリカ合衆国憲法」「翌年7月までに11の州が批准して、発効」「1789年3月4日連邦政府が正式に発足、4月30日には新憲法の規定にしたがい・・・ジョージ・ワシントンが・・・初代大統領に就任」「さらに翌年2月、合衆国最高裁判所が・・・正式に開廷」
~主権国家形成から国民形成へ


なぜ憲法を制定したのか?~主権性の確保
「それは英国からの独立を達成したにもかかわらず、連合規約のもとでの体制維持にさまざまな問題が発生したから」(p.59)~徴税・通商・信用

○主権性の創造~徴税・通商・信用(信用確保のための行政と司法)
1)徴税
「第一に、連合規約のもとで議会には徴税権がなく、自身の財源がなかった。各州に資金の提供を求めることができても、強制はできない。」(p.60)~独立戦争の戦費負担
2)通商
「第二に、連合議会には通商規制権がなかった。・・・独立と同時に各州が独自の通商政策をとるようになり、さまざまな通商摩擦が生じる。・・・独立を達成したことによって、かえって通商問題が発生し、アメリカ全体としての通商活動が阻害。」(p.60)~交易・通商問題の発生
3)信用
「第三に、・・・各州の議会が、徳政令を発布して借金を帳消しにしたり、通貨を濫発したり、あるいは裁判所の判決を無効にしたり・・・。連合議会は独自の行政権も司法権も有しないので、州に対し命令を発してこうした政策を正すことができない。」(p.61)

○全会一致(「異論無き合意」)の機能不全~少数者の専制(異論の存在による決定不能)
「こうした状況を改善するために、連合規約の改正が何度も試みられるが、ことごとく失敗する。その最大の原因は、連合議会では各州がそれぞれ一票を有し、しかも連合規約の改正は全会一致でなければならないという規定の存在である。」(p.61)

○民主主義の行き過ぎと主権性・対等性
「いずれか一州が反対票を投じれば、改正はできない。」「全会一致規定自体、全会一致の賛成がない限り変更できなかった。」「各州は・・・それぞれ主権を有し対等である。」

○主権性の喪失
「各州が完全な独立を達成し、主権国家として何者にも左右されない民主的な共和政体を樹立したために、かえってお互いに身動きが取れなくなった。国王を取り除いた人々は、国王に代わる何らかの統合の仕組みが必要なことに、遅ればせながら気づく。」(p.62)

○立憲的行為
「連合規約のもとでは事態の改善が望めないと考えた一部の人々は、ついにまったく別個の新しい国家体制を構築(constitute)することを考え始める。」
「1785年、ヴァージニアとメリーランドのあいだで、両者の境を流れるポトマック川の水運に関する合意が成立する。この成功に味をしめた両州は、より一般的な州間の通商問題に関する会議を、他の州をも招いて開催することにした。」「1986年9月メリーランド州アナポリスで、5州の代表が集まる。そしてこの会議で、ニューヨークの代表アレキサンダー・ハミルトンとヴァージニアの代表ジェームズ・マディソンが音頭を取り、87年の5月にフィラデルフィアで各州の代表が、『連邦政府の憲法を、連合の緊急課題に対処しうる内容とする』ために集まることが決まった。」

(p.63-64)
○革命的行為としての制憲議会
「参加者はまず、討議の非公開を決定する。」
「次に代表たちは連合規約にとらわれず、まったく新しい連邦政府樹立を討議することに合意する。」(p.65)(「実は、連合議会は、フィラデルフィア会議の議題を連合規約の改正のみに限るよう命令していた。また、代表の多くは出身州の議会から、それ以外の議題を討議するなとの指示を受けていた。」「ところが会議が始まってすぐに、参加者はこれらの命令を無視した。」)

○非合法行為としての立憲行為
「そもそも連合規約には、制憲会議開催についての規定がない。しかも憲法草案が完成した際には、連合規約が定める連合会議での全州一致の投票による改正手続も、各州議会での承認手続も、一切取られなかった。」「そのかわりに各州で州民投票が行なわれ憲法会議が召集されて、批准がなされる。」「しかも、全州一致ではなく、九つの州による批准によって、新憲法は発効する。」(p.65)

「全会一致主義」から「多数決主義」への転換←!!

○制憲議会の争点
1)徴税権と通商規制権については異論がなかった
2)独自の行政府を設け執行権を与えることにも異論はなかった
3)州に対する次の行為の禁止(通貨鋳造、契約無効、徳政令発布、遡及効を有する法律の制定、関税賦課などを禁止する規定)=信用しうる政府(債権者にとって信用しうる政府)

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Posted on 08:37:51 «Edit»
2007
11/12
Mon
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第7回/中京2007秋) 

自由主義国家と立憲主義

市場と政府
カール・ポランニーの議論
を手がかりに。
• 以下、カール・ポラニー『大転換』より引用。
大転換―市場社会の形成と崩壊大転換―市場社会の形成と崩壊
(1975/04)
吉沢 英成、カール・ポラニー 他

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「[19]世紀前半には、立憲制は禁じられ、神聖同盟が平和の名のもとに自由を抑圧した」(p.7)
「これにたいし[19世紀]後半には、再びまた平和の名のもとに、企業精神に富んだ銀行家たちによって立憲制が暴君たちに押しつけられた。」(p.7)
19世紀前半における
神聖同盟
と立憲制の禁止

19世紀後半における
立憲制の押しつけ

「企業精神に富んだ銀行家たちによって」
「このようにいろいろな姿で、しかも変動常なきイデオロギーのもとで-ときには進歩と自由の名のもとに、ときには王冠や教会の権威によって、ときには株式取引所や銀行の慈悲によって、あるいはまた買収や賄賂によって、道徳論や啓蒙的な呼びかけによって、またときには大砲や銃剣によって-同じ結果が生み出された。
すなわち平和が維持されたのだ。」(p.7)
「金融--これは影響力を与えるチャンネルのひとつであった--は、多数の小さな独立国家の政策決定にたいする強力な調整者の役割を果たした。貸付とその更新は信用にかかっており、その信用は行動のあり方にかかっていた。立憲政府(立憲制でなければ強い難色が示された)のもとでは、行動は予算に反映されたし、通貨の対外的価値は予算に対する評価と切り離しなかったから、債務国政府は、自国通貨の為替相場を注意深く見守り、そして予算状態の健全性に疑いを生じさせるような政策を避けるのが得策というものであった。」(p.17)
「ある国が金本位制を一度採用すれば、この有益な格率が強力な行動準則となった。そしてこれは変動しうる幅を最小に限定することになった。金本位制と立憲制は、新しい国家秩序への忠誠を象徴するこれら二つの制度を採用した多数の小国に、ロンドンのシティの声を伝える媒体であった。」(p.17)
「パックス・ブリタニカは、ときには重艦砲の不吉な威厳でその権勢を維持することもあったが、それより頻繁に、国際通貨の網の目の意図を適宜たぐりよせることによって、その座を保持したのであった。」(p.17)
国際的な金融が
各国の政策決定にたいする強力な調整者であった
「信用としての立憲政府」

立憲政府の行動は予算に反映され、予算に対する評価は通貨の対外的価値と不即不離の関係をもつ
パクス・ブリタニカのもとでの金本位制と立憲制
(19世紀半ば)

パクス・アメリカーナのもとでの為替相場制と立憲制
(20世紀後半)
「労働市場が労働者の生活をひどくゆがめるほど、いっそう強く労働者は声高に参政権を要求した。大衆政治の要求が緊張の政治的根源であった。こうした状況のもとで、立憲政治はまったく新しい意味を獲得した。」(p.302)
「それまでは、財産権の不法な侵害に対する法的保護は上からの専横的行為に対してのみ向けられていた。ロックの見解も土地および商業上の財産を越えるものではなく、王権の横暴な行為、たとえばヘンリー八世のもとでの教会領の没収、チャールズ一世のもとでの造幣局差押、チャールズ二世のもとでの大蔵省の「支払停止」等を排除することだけを目的としたものであった。ロックのいう意味で、政府を商業から分離させるということは、1694年のイングランド銀行創設の特許状において模範的なかたちで実現されていた。商業資本は王権に対する戦いに勝利していた。」(p.302)
「100年後には、商業的財産ではなく産業的財産が、国王に対してではなく大衆に抗して、保護されることになった。」(p.302)
「すでにモンテスキューが1748年に考え出していた権力の分立は、いまや大衆自身の経済生活を支配している権力から彼らを引離すために使われた。アメリカ憲法は、農夫・職人的環境のなかで、イギリスの産業的光景から事前に警告を受けた指導層によって作成されたものだが、それは経済領域を憲法の支配から完全に隔離し、それによって私有財産をこれ以上考えられないような保護のもとにおき、世界で唯一の法的基礎をもつ、市場社会を創出したのである。」(p.302)
「普通選挙制のもとにあるにもかかわらず、アメリカの有権者は財産所有者に対して無力であった。」(p.302)
アメリカ合衆国憲法と
連邦中央銀行の創設者としての
ハミルトン

以下、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
「アレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton, 1755年1月11日 - 1804年7月12日)は、アメリカ合衆国建国の父の1人。政治家、憲法思想家、哲学者であり、アメリカ合衆国初期外交のリーダー。独立戦争の際には総司令官ジョージ・ワシントンの副官(砲兵将校、陸軍中佐)。」
「1787年のフィラデルフィア憲法起草会議の発案者。アメリカ合衆国憲法の実際の起草者。アメリカ合衆国憲法コメンタリーの古典『ザ・フェデラリスト』の主執筆者。古き英国の法思想「法の支配」に基づくコモン・ロー化した憲法を生み出した、立憲主義および保守主義の偉大な思想家である。司法による違憲立法審査権の制度の理論は、ハミルトンによる。アメリカ合衆国の初代財務長官。陸軍少将。連邦党の党首。1801年、米国最古の日刊紙ニューヨーク・ポスト紙を創業した。1804年、決闘で死去、49歳だった。」
「1776年3月14日、ニューヨーク植民地砲兵中隊を指揮する大尉に任命され、独立戦争に従軍、幾多の会戦に参加して軍人としても優れた才能を発揮した。1777年からワシントン総司令官の副官に任命され、中佐として軍務に奔走するかたわら、ヒューム、ホッブズなどの読書と研究に努めた。1779年12月から翌年の3月にかけて、独立運動の指導者に書簡をおくり、その中ですでに合衆国銀行設立の構想を立てている。1781年7月12日から4回にわたって連載された論文『大陸主義者』では、強力な中央政府樹立の必要を説いた。」
「軍務を解かれ1782年から弁護士開業を目指し、ブラックストーン、グロティウス、プッフェンドルフについて勉強する。4月18日から新聞掲載された『大陸主義者』の続編で、通商規制の必要を説く。7月22日にニューヨーク邦大陸会議議員に選出され、そこで大陸会議の課税権強化を提唱。」
「1787年3月ニューヨーク邦議会により憲法制定会議への代表として派遣され、9月17日にアメリカ合衆国憲法の草稿を作成し、ついで憲法草案に署名をする。10月27日からジェームズ・マディスン、ジョン・ジェイと協力して翌年5月28日までに『ザ・フェデラリスト』論文を執筆して、合衆国憲法批准を促進した。1789年9月11日、ワシントン内閣の財務長官に任命される。」
「1790年から1791年までにハミルトンによって連邦議会に提出された報告書は、《公信用》《未占有地》《蒸留酒税》《国立銀行》《貨幣鋳造所設立》《製造業》と実に多種多様。」
「ハミルトンは、17世紀初頭の古き英国の法思想にもとづき、国王なし、貴族なしの政体において、コモン・ローの精神「法の支配」を制度化できるよう、アメリカ合衆国憲法を起草した。アメリカにおける立憲主義の創始者である。アメリカ合衆国憲法は、コモン・ローの憲法典化であり、コモン・ロー化した憲法典の誕生であった。アメリカ合衆国憲法がジョン・マーシャルの判決(1803)を通じて司法の違憲立法審査権を「発明」したが、それはハミルトンが書いた『ザ・フェデラリスト』の第78篇その他の法理に依拠した。」
「ハミルトンのアメリカ合衆国への貢献は、憲法や政治制度ばかりでなく、新生の国家の財政/金融/貨幣/通商/産業政策の基礎を未来図とともに整備したことである。アメリカ合衆国経済にとって不可欠であった初の連邦中央銀行(1791~1811年)の設立と初のアメリカ合衆国造幣局の設置による初のドル硬貨の発行(1792年)は、ハミルトン一人の成果であったといってよい。」
「この倫理・道徳を国策の根本とするのは、ハミルトンがアメリカ合衆国の財政制度を創設・整備していく際にも、また独立戦争時の借金を全額額面どおり弁済する際にも(「公信用について第一報告書」、1790年1月)、貫いた。1792年の「財源制度の擁護Ⅲ」でハミルトンは「道徳と正義に関する確立しているルールは、個人と同様、国家にも適用される。よって…国家もまたその約束を守り、契約を果たし、各国民の財産権を尊重すべきある。そうしなければ、社会や政府に関係して、善と悪、あるいは正義と不正義を差別するすべての思考を終焉させる」と説いている。」
「信用としての立憲政府」

立憲政府の行動は予算に反映され、予算に対する評価は通貨の対外的価値と不即不離の関係をもつ
国際的な金融が
各国の政策決定にたいする強力な調整者であった
パクス・ブリタニカのもとでの金本位制と立憲制
(19世紀半ば)

パクス・アメリカーナのもとでの為替相場制と立憲制
(20世紀後半)
「これにたいし[19世紀]後半には、再びまた平和の名のもとに、企業精神に富んだ銀行家たちによって立憲制が暴君たちに押しつけられた。」(p.7)
「100年後には、商業的財産ではなく産業的財産が、国王に対してではなく大衆に抗して、保護されることになった。」(p.302)

「現代の暴君」としての大衆
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Posted on 14:27:51 «Edit»
2007
10/31
Wed
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(レポートその2/2007秋) 

レポート課題(その2)は次の通りとする。

■テーマ 「憲法とは?」

☆憲法とは何か?憲法とは何であると思うか?

☆個人的意見を自由に展開せよ。

■注意 引用にあたっては、引用部分をかぎかっこで囲むと同時に、引用文献(著者名、著書名、出版社、出版年、ページ)を必ず明示すること。
■提出日 11/13の授業時
(遅れて提出の場合には、11/20の授業時まで受け付ける。その際の評点は80%とする。それ以降の提出は受け付けない。)

レポートの採点基準と提出様式についてはここをクリック
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