政治学者 高橋 肇のブログサイト。 政治学を中心とした学術的なテーマを掲載。 その他のテーマは、たかはしはじめ日記へ。

 

Hajime TAKAHASHI's Politics

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Posted on 06:44:05 «Edit»
2007
11/21
Wed
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(レポートその3/2007秋) 

レポート課題(その3)は次の通りとする。

■課題 テキスト『これが憲法だ!』を読み、その中で取り上げられている論点(長谷部と杉田の論争点)をひとつ以上取り上げ、それについてコメント(感想と自分の意見)を述べよ。
これが憲法だ! (朝日新書)これが憲法だ! (朝日新書)
(2006/11)
長谷部 恭男、杉田 敦 他

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■注意 引用にあたっては、引用部分をかぎかっこで囲むと同時に、引用文献(著者名、著書名、出版社、出版年、ページ)を必ず明示すること。
■提出日 12/11の授業時
(遅れて提出の場合には、12/18の授業時まで受け付ける。その際の評点は80%とする。それ以降の提出は受け付けない。)

レポートの採点基準と提出様式についてはここをクリック
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Posted on 06:37:52 «Edit»
2007
11/21
Wed
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学(第9回/2007秋) 

第9回(11/20) 立憲制度と戦争

長谷部『憲法と平和を問いなおす』第Ⅲ部

ホッブズの社会契約論
「万人の万人に対する闘争」
「比較不能な価値観の深刻な対立状況」
「いかに平和な社会生活の枠組みを築くか」

「自己保存のために自然権を行使する無秩序状態」

モンテスキューとルソーにおける自然状態=平和状態
「ホッブズとルソーの違いを過大に評価すべきでない。」(p.116)
ルソー「私有財産制度が生まれるや、人間本来の必要とは無関係な利欲、嫉妬心、競争と対抗意識が生じ、そこから果てしない紛争と恐ろしい無秩序が到来したであろうことを認めている」
「財産の危険に怯えた富者層のイニシアティヴで、しかしすべての人の安全を保障することを名目としつつ国家が設立される。」(ルソー)

ホッブズの関心は最初からこの無秩序状態にあった
そのうえで、
ルソーの指摘「複数の国家相互の関係がなお自然状態にある」

国家間の戦争を引き起こす
ルソーの提案その1)
「常備軍を廃止し、訓練された民兵を組織すべき」(p.120-121)
ルソーの提案その2)
「国家間の同盟を通じて平和を達成すべき」(p.122-123)
⇔(主権を単一の世界政府に移譲)
ルソーの提案その3)
「国家という約束事(社会契約)を消滅させる」(p.124-125)


平和主義と立憲主義は両立するのか?

調整問題状況と囚人のジレンマ状況(p.131-)
チキンゲーム状況(p.141-)
集団安全保障の困難
1)実際的な困難(p.152-)
2)原理的な困難(p.156-)

選択肢
1)穏健な平和主義
2)人民武装
3)組織的な非暴力不服従
4)善き生を全うする絶対平和主義
5)世界警察または帝国

長谷部の選択は
1)穏健な平和主義
「ともかく軍備を放棄せよという考え方は、『善き生き方』を教える信仰ではありえても、立憲主義と両立しうる平和主義ではない。」(p.179)


国民国家体制と戦争
立憲主義と平和主義の問題とは、国家の自衛権と集団安全保障の問題にほかならない。

国家の自衛権と集団安全保障の問題について
以下、豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』 (岩波新書 より)
集団的自衛権とは何か (岩波新書 新赤版 1081)集団的自衛権とは何か (岩波新書 新赤版 1081)
(2007/07)
豊下 楢彦

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「そもそも国連憲章は、『すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、・・・・慎まなければならない』(二条四項)と規定して武力行使禁止原則を謳っているが、次の三つの場合にのみ武力行使が認められている。」
「その一つが、『平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為』の発生に対し、安全保障理事会(安保理)の決定に基づいてとられる『軍事的措置』の場合である(四二条)。
この措置は、国連の名において実施される点で『公権力の行使』にたとえられ、集団安全保障と呼ばれる。」
「あとの二つは、憲章五一条に規定されているもので、加盟国に対する『武力攻撃が発生』し、安保理が必要な措置をとるまでの間に認められる、個別的自衛権の行使と集団的自衛権の行使の場合である。」
「『仮想敵』を想定せず安保理の管轄下で実施される集団安全保障(collective security)と、共通の『仮想敵』を設定し、安保理が機能するまでの間においてのみ認められる集団的自衛権(collective defense)とは、根本的に異なった概念なのである。」(以上、豊下前掲書、「まえがき」より)

国家の自衛権と集団安全保障の問題

個別的自衛権~国家の主権の行使
集団的自衛権~国家間同盟

集団安全保障~国連・世界警察・帝国

集団的自衛権と集団安全保障の区別と理解については、日本政府の見解も含め極めて不充分な状況にある。集団的自衛権の行使は、現行憲法において明確に否定されている。
この立場は、国連安保理の管轄下で実施される集団安全保障への積極的参加という立場と固く結びついている。憲法9条は、国連憲章42条と相補的な理念である。


選択肢

1)穏健な平和主義
2)人民武装
3)組織的な非暴力不服従
4)善き生を全うする絶対平和主義
5)世界警察または帝国


とるべき選択は

1)穏健な平和主義

5)世界警察または帝国

なぜ国境があるのか?(長谷部『何か』終章)
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Posted on 07:23:17 «Edit»
2007
11/20
Tue
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第8回/2007秋) 

第8回(11/13) 立憲制度とはなにか(再論)


阿川尚之『憲法で読むアメリカ史(上)』より。
憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)
(2004/09/16)
阿川 尚之

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アメリカ合衆国はいかにして建国されたか?
1)「アメリカ独立宣言」による建国ののろし
「1776年のこの日[7月4日]フィラデルフィアで、トマス・ジェファソンが起草した独立宣言に13植民地(州)連合の代表が署名し、独立を目指す共通の意思を確認した。」(p.56)
~独立主権国家設立の宣言
2)「パリ条約」による独立の承認
「しかし植民地が独立を宣言しても英国はこれを認めず、武力による革命の鎮圧を引き続きめざした。」「外交努力の結果、イギリスの宿敵フランスがアメリカを国家として承認し、同盟国として援助の手を差し伸べた」「1783年に調印されたパリ条約によって、英国をはじめとする列国はアメリカを主権国家として承認し、これによってこの国の独立が確定した。」
~主権国家システム内での承認
だが。。。
「英国からの独立はアメリカ合衆国誕生にとって必要条件ではあったが、十分条件ではない。」「独立宣言とパリ条約によって誕生したのは1つの国家ではなく、実際には13の独立主権国家だった。」(以上、p.57)

3)「合衆国憲法」の発効と連邦政府発足による1つの独立主権国家の誕生
「1787年の夏、各州の代表がフィラデルフィアに集まり四ヶ月かけて起草したのがアメリカ合衆国憲法」「翌年7月までに11の州が批准して、発効」「1789年3月4日連邦政府が正式に発足、4月30日には新憲法の規定にしたがい・・・ジョージ・ワシントンが・・・初代大統領に就任」「さらに翌年2月、合衆国最高裁判所が・・・正式に開廷」
~主権国家形成から国民形成へ


なぜ憲法を制定したのか?~主権性の確保
「それは英国からの独立を達成したにもかかわらず、連合規約のもとでの体制維持にさまざまな問題が発生したから」(p.59)~徴税・通商・信用

○主権性の創造~徴税・通商・信用(信用確保のための行政と司法)
1)徴税
「第一に、連合規約のもとで議会には徴税権がなく、自身の財源がなかった。各州に資金の提供を求めることができても、強制はできない。」(p.60)~独立戦争の戦費負担
2)通商
「第二に、連合議会には通商規制権がなかった。・・・独立と同時に各州が独自の通商政策をとるようになり、さまざまな通商摩擦が生じる。・・・独立を達成したことによって、かえって通商問題が発生し、アメリカ全体としての通商活動が阻害。」(p.60)~交易・通商問題の発生
3)信用
「第三に、・・・各州の議会が、徳政令を発布して借金を帳消しにしたり、通貨を濫発したり、あるいは裁判所の判決を無効にしたり・・・。連合議会は独自の行政権も司法権も有しないので、州に対し命令を発してこうした政策を正すことができない。」(p.61)

○全会一致(「異論無き合意」)の機能不全~少数者の専制(異論の存在による決定不能)
「こうした状況を改善するために、連合規約の改正が何度も試みられるが、ことごとく失敗する。その最大の原因は、連合議会では各州がそれぞれ一票を有し、しかも連合規約の改正は全会一致でなければならないという規定の存在である。」(p.61)

○民主主義の行き過ぎと主権性・対等性
「いずれか一州が反対票を投じれば、改正はできない。」「全会一致規定自体、全会一致の賛成がない限り変更できなかった。」「各州は・・・それぞれ主権を有し対等である。」

○主権性の喪失
「各州が完全な独立を達成し、主権国家として何者にも左右されない民主的な共和政体を樹立したために、かえってお互いに身動きが取れなくなった。国王を取り除いた人々は、国王に代わる何らかの統合の仕組みが必要なことに、遅ればせながら気づく。」(p.62)

○立憲的行為
「連合規約のもとでは事態の改善が望めないと考えた一部の人々は、ついにまったく別個の新しい国家体制を構築(constitute)することを考え始める。」
「1785年、ヴァージニアとメリーランドのあいだで、両者の境を流れるポトマック川の水運に関する合意が成立する。この成功に味をしめた両州は、より一般的な州間の通商問題に関する会議を、他の州をも招いて開催することにした。」「1986年9月メリーランド州アナポリスで、5州の代表が集まる。そしてこの会議で、ニューヨークの代表アレキサンダー・ハミルトンとヴァージニアの代表ジェームズ・マディソンが音頭を取り、87年の5月にフィラデルフィアで各州の代表が、『連邦政府の憲法を、連合の緊急課題に対処しうる内容とする』ために集まることが決まった。」

(p.63-64)
○革命的行為としての制憲議会
「参加者はまず、討議の非公開を決定する。」
「次に代表たちは連合規約にとらわれず、まったく新しい連邦政府樹立を討議することに合意する。」(p.65)(「実は、連合議会は、フィラデルフィア会議の議題を連合規約の改正のみに限るよう命令していた。また、代表の多くは出身州の議会から、それ以外の議題を討議するなとの指示を受けていた。」「ところが会議が始まってすぐに、参加者はこれらの命令を無視した。」)

○非合法行為としての立憲行為
「そもそも連合規約には、制憲会議開催についての規定がない。しかも憲法草案が完成した際には、連合規約が定める連合会議での全州一致の投票による改正手続も、各州議会での承認手続も、一切取られなかった。」「そのかわりに各州で州民投票が行なわれ憲法会議が召集されて、批准がなされる。」「しかも、全州一致ではなく、九つの州による批准によって、新憲法は発効する。」(p.65)

「全会一致主義」から「多数決主義」への転換←!!

○制憲議会の争点
1)徴税権と通商規制権については異論がなかった
2)独自の行政府を設け執行権を与えることにも異論はなかった
3)州に対する次の行為の禁止(通貨鋳造、契約無効、徳政令発布、遡及効を有する法律の制定、関税賦課などを禁止する規定)=信用しうる政府(債権者にとって信用しうる政府)

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Posted on 08:37:51 «Edit»
2007
11/12
Mon
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第7回/中京2007秋) 

自由主義国家と立憲主義

市場と政府
カール・ポランニーの議論
を手がかりに。
• 以下、カール・ポラニー『大転換』より引用。
大転換―市場社会の形成と崩壊大転換―市場社会の形成と崩壊
(1975/04)
吉沢 英成、カール・ポラニー 他

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「[19]世紀前半には、立憲制は禁じられ、神聖同盟が平和の名のもとに自由を抑圧した」(p.7)
「これにたいし[19世紀]後半には、再びまた平和の名のもとに、企業精神に富んだ銀行家たちによって立憲制が暴君たちに押しつけられた。」(p.7)
19世紀前半における
神聖同盟
と立憲制の禁止

19世紀後半における
立憲制の押しつけ

「企業精神に富んだ銀行家たちによって」
「このようにいろいろな姿で、しかも変動常なきイデオロギーのもとで-ときには進歩と自由の名のもとに、ときには王冠や教会の権威によって、ときには株式取引所や銀行の慈悲によって、あるいはまた買収や賄賂によって、道徳論や啓蒙的な呼びかけによって、またときには大砲や銃剣によって-同じ結果が生み出された。
すなわち平和が維持されたのだ。」(p.7)
「金融--これは影響力を与えるチャンネルのひとつであった--は、多数の小さな独立国家の政策決定にたいする強力な調整者の役割を果たした。貸付とその更新は信用にかかっており、その信用は行動のあり方にかかっていた。立憲政府(立憲制でなければ強い難色が示された)のもとでは、行動は予算に反映されたし、通貨の対外的価値は予算に対する評価と切り離しなかったから、債務国政府は、自国通貨の為替相場を注意深く見守り、そして予算状態の健全性に疑いを生じさせるような政策を避けるのが得策というものであった。」(p.17)
「ある国が金本位制を一度採用すれば、この有益な格率が強力な行動準則となった。そしてこれは変動しうる幅を最小に限定することになった。金本位制と立憲制は、新しい国家秩序への忠誠を象徴するこれら二つの制度を採用した多数の小国に、ロンドンのシティの声を伝える媒体であった。」(p.17)
「パックス・ブリタニカは、ときには重艦砲の不吉な威厳でその権勢を維持することもあったが、それより頻繁に、国際通貨の網の目の意図を適宜たぐりよせることによって、その座を保持したのであった。」(p.17)
国際的な金融が
各国の政策決定にたいする強力な調整者であった
「信用としての立憲政府」

立憲政府の行動は予算に反映され、予算に対する評価は通貨の対外的価値と不即不離の関係をもつ
パクス・ブリタニカのもとでの金本位制と立憲制
(19世紀半ば)

パクス・アメリカーナのもとでの為替相場制と立憲制
(20世紀後半)
「労働市場が労働者の生活をひどくゆがめるほど、いっそう強く労働者は声高に参政権を要求した。大衆政治の要求が緊張の政治的根源であった。こうした状況のもとで、立憲政治はまったく新しい意味を獲得した。」(p.302)
「それまでは、財産権の不法な侵害に対する法的保護は上からの専横的行為に対してのみ向けられていた。ロックの見解も土地および商業上の財産を越えるものではなく、王権の横暴な行為、たとえばヘンリー八世のもとでの教会領の没収、チャールズ一世のもとでの造幣局差押、チャールズ二世のもとでの大蔵省の「支払停止」等を排除することだけを目的としたものであった。ロックのいう意味で、政府を商業から分離させるということは、1694年のイングランド銀行創設の特許状において模範的なかたちで実現されていた。商業資本は王権に対する戦いに勝利していた。」(p.302)
「100年後には、商業的財産ではなく産業的財産が、国王に対してではなく大衆に抗して、保護されることになった。」(p.302)
「すでにモンテスキューが1748年に考え出していた権力の分立は、いまや大衆自身の経済生活を支配している権力から彼らを引離すために使われた。アメリカ憲法は、農夫・職人的環境のなかで、イギリスの産業的光景から事前に警告を受けた指導層によって作成されたものだが、それは経済領域を憲法の支配から完全に隔離し、それによって私有財産をこれ以上考えられないような保護のもとにおき、世界で唯一の法的基礎をもつ、市場社会を創出したのである。」(p.302)
「普通選挙制のもとにあるにもかかわらず、アメリカの有権者は財産所有者に対して無力であった。」(p.302)
アメリカ合衆国憲法と
連邦中央銀行の創設者としての
ハミルトン

以下、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
「アレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton, 1755年1月11日 - 1804年7月12日)は、アメリカ合衆国建国の父の1人。政治家、憲法思想家、哲学者であり、アメリカ合衆国初期外交のリーダー。独立戦争の際には総司令官ジョージ・ワシントンの副官(砲兵将校、陸軍中佐)。」
「1787年のフィラデルフィア憲法起草会議の発案者。アメリカ合衆国憲法の実際の起草者。アメリカ合衆国憲法コメンタリーの古典『ザ・フェデラリスト』の主執筆者。古き英国の法思想「法の支配」に基づくコモン・ロー化した憲法を生み出した、立憲主義および保守主義の偉大な思想家である。司法による違憲立法審査権の制度の理論は、ハミルトンによる。アメリカ合衆国の初代財務長官。陸軍少将。連邦党の党首。1801年、米国最古の日刊紙ニューヨーク・ポスト紙を創業した。1804年、決闘で死去、49歳だった。」
「1776年3月14日、ニューヨーク植民地砲兵中隊を指揮する大尉に任命され、独立戦争に従軍、幾多の会戦に参加して軍人としても優れた才能を発揮した。1777年からワシントン総司令官の副官に任命され、中佐として軍務に奔走するかたわら、ヒューム、ホッブズなどの読書と研究に努めた。1779年12月から翌年の3月にかけて、独立運動の指導者に書簡をおくり、その中ですでに合衆国銀行設立の構想を立てている。1781年7月12日から4回にわたって連載された論文『大陸主義者』では、強力な中央政府樹立の必要を説いた。」
「軍務を解かれ1782年から弁護士開業を目指し、ブラックストーン、グロティウス、プッフェンドルフについて勉強する。4月18日から新聞掲載された『大陸主義者』の続編で、通商規制の必要を説く。7月22日にニューヨーク邦大陸会議議員に選出され、そこで大陸会議の課税権強化を提唱。」
「1787年3月ニューヨーク邦議会により憲法制定会議への代表として派遣され、9月17日にアメリカ合衆国憲法の草稿を作成し、ついで憲法草案に署名をする。10月27日からジェームズ・マディスン、ジョン・ジェイと協力して翌年5月28日までに『ザ・フェデラリスト』論文を執筆して、合衆国憲法批准を促進した。1789年9月11日、ワシントン内閣の財務長官に任命される。」
「1790年から1791年までにハミルトンによって連邦議会に提出された報告書は、《公信用》《未占有地》《蒸留酒税》《国立銀行》《貨幣鋳造所設立》《製造業》と実に多種多様。」
「ハミルトンは、17世紀初頭の古き英国の法思想にもとづき、国王なし、貴族なしの政体において、コモン・ローの精神「法の支配」を制度化できるよう、アメリカ合衆国憲法を起草した。アメリカにおける立憲主義の創始者である。アメリカ合衆国憲法は、コモン・ローの憲法典化であり、コモン・ロー化した憲法典の誕生であった。アメリカ合衆国憲法がジョン・マーシャルの判決(1803)を通じて司法の違憲立法審査権を「発明」したが、それはハミルトンが書いた『ザ・フェデラリスト』の第78篇その他の法理に依拠した。」
「ハミルトンのアメリカ合衆国への貢献は、憲法や政治制度ばかりでなく、新生の国家の財政/金融/貨幣/通商/産業政策の基礎を未来図とともに整備したことである。アメリカ合衆国経済にとって不可欠であった初の連邦中央銀行(1791~1811年)の設立と初のアメリカ合衆国造幣局の設置による初のドル硬貨の発行(1792年)は、ハミルトン一人の成果であったといってよい。」
「この倫理・道徳を国策の根本とするのは、ハミルトンがアメリカ合衆国の財政制度を創設・整備していく際にも、また独立戦争時の借金を全額額面どおり弁済する際にも(「公信用について第一報告書」、1790年1月)、貫いた。1792年の「財源制度の擁護Ⅲ」でハミルトンは「道徳と正義に関する確立しているルールは、個人と同様、国家にも適用される。よって…国家もまたその約束を守り、契約を果たし、各国民の財産権を尊重すべきある。そうしなければ、社会や政府に関係して、善と悪、あるいは正義と不正義を差別するすべての思考を終焉させる」と説いている。」
「信用としての立憲政府」

立憲政府の行動は予算に反映され、予算に対する評価は通貨の対外的価値と不即不離の関係をもつ
国際的な金融が
各国の政策決定にたいする強力な調整者であった
パクス・ブリタニカのもとでの金本位制と立憲制
(19世紀半ば)

パクス・アメリカーナのもとでの為替相場制と立憲制
(20世紀後半)
「これにたいし[19世紀]後半には、再びまた平和の名のもとに、企業精神に富んだ銀行家たちによって立憲制が暴君たちに押しつけられた。」(p.7)
「100年後には、商業的財産ではなく産業的財産が、国王に対してではなく大衆に抗して、保護されることになった。」(p.302)

「現代の暴君」としての大衆
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