政治学者 高橋 肇のブログサイト。 政治学を中心とした学術的なテーマを掲載。 その他のテーマは、たかはしはじめ日記へ。

 

Hajime TAKAHASHI's Politics

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Posted on 17:47:18 «Edit»
2006
05/09
Tue
Category:一億二千万人の優しい日本人のための優しい民主主義入門

討論なき民主主義も民主主義である~~民主主義入門(1) 

(未定稿/作業中につき後日変更あり)
12人の優しい日本人」という映画がある。(監督/中原俊 脚本/三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ)


もし日本に陪審員制度があったらという想定で、心優しき普通の日本人12名が有罪、無罪を巡って討論を交わす。最初に決を採ったところ、12人全員が無罪に挙手。あっけなく決まった。
ところが、陪審員の1人がこれで終わりにしていいんですか?と疑義を呈したところから延々と議論が始まる。延々と議論が続いたのち、最終的には全員が納得し、全員一致でふたたび無罪の決定が下されるというストーリーである。

この映画は、アメリカ映画の名作「12人の怒れる男」をモチーフにしており、日米の民主主義の政治文化の違いを比較するという観点から考察してみるのも面白い。これについてもいずれ書いてみたい。

さて、ここではこの映画を陪審制について考えるための素材としては扱わない。そうではなく、民主主義について考えるための素材として扱う。

ある集団(社会)が、集団(社会)としてひとつの決定を下さなければならないとする。その際に討論を行い、決定をおこなう。

そこでは、討論が行われ、決定が下されるのであるが、討論をし決定をすること自体、その集団(社会)にとっていったい何をしていることになるのか。そこで行われる討論の質、決定の質とは、何によって保証されるのか。

まずは、この映画を見たのちに、次の問いに答えてもらいたい。
1)最初の無罪の決定は民主主義的決定か?
2)最後の無罪の決定は民主主義的決定か?
3)最初の決定と最後の決定の違いは何か?
4)討論の意味は何か?

8割方の人は次のように回答する。
1)民主主義的な決定とは言えない。(あるいは)民主主義的な決定だが、討論をしていないので本当の民主主義とは言えない。
2)全員が充分に納得のいくまで討論した結果の決定であり、民主主義的決定と言える。
3)討論の有無。納得の有無。論理的に考えて下した決定かどうかの違い。
4)全員が対等な立場で、異なる意見を闘わせることで、納得の行く結論を得ることができる。

さて、【第一の問題】は次の点にある。
はたして、最初の決定は民主主義的決定ではないのか?
12人全員が無罪に手を上げた最初の決定を民主主義的決定でないと断じてしまってよいのか?
答えは断じて否である。

【「最初の決定」も「最後の決定」もどちらも完全に民主主義的な決定である】

これが、最初の出発点である。

考えてみよう。仮に、最初の決定は民主主義的決定ではないと主張したらどうなるか。現在世間で行われているかなり多くの(いや、ほとんどの)決定が民主主義的決定でないものとされ、有効ではないとされてしまう。
討論無しの決定は民主主義的ではないと断じてしまうことは、討論無しの決定はすべて民主主義的には無効だと主張することに帰結する。こうなると、民主主義のルールが適用されるべき領域において、討論無しの決定が行われた場合、これらすべてを民主主義的決定ではないものとして、無効なものとして退けてしまうことになってしまう。

つまり、最初の決定は民主主義的決定として完全に有効なのである。

【討論なき民主主義も民主主義である。】

これが最初の出発点である。


では、民主主義とはそもそもいったい何なのか?

この古くて新しい問題について考えていこうと思う。
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