政治学者 高橋 肇のブログサイト。 政治学を中心とした学術的なテーマを掲載。 その他のテーマは、たかはしはじめ日記へ。

 

Hajime TAKAHASHI's Politics

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2007
11/20
Tue
Category:政治学B(中京/2007秋)

政治学B(第8回/2007秋) 

第8回(11/13) 立憲制度とはなにか(再論)


阿川尚之『憲法で読むアメリカ史(上)』より。
憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)
(2004/09/16)
阿川 尚之

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アメリカ合衆国はいかにして建国されたか?
1)「アメリカ独立宣言」による建国ののろし
「1776年のこの日[7月4日]フィラデルフィアで、トマス・ジェファソンが起草した独立宣言に13植民地(州)連合の代表が署名し、独立を目指す共通の意思を確認した。」(p.56)
~独立主権国家設立の宣言
2)「パリ条約」による独立の承認
「しかし植民地が独立を宣言しても英国はこれを認めず、武力による革命の鎮圧を引き続きめざした。」「外交努力の結果、イギリスの宿敵フランスがアメリカを国家として承認し、同盟国として援助の手を差し伸べた」「1783年に調印されたパリ条約によって、英国をはじめとする列国はアメリカを主権国家として承認し、これによってこの国の独立が確定した。」
~主権国家システム内での承認
だが。。。
「英国からの独立はアメリカ合衆国誕生にとって必要条件ではあったが、十分条件ではない。」「独立宣言とパリ条約によって誕生したのは1つの国家ではなく、実際には13の独立主権国家だった。」(以上、p.57)

3)「合衆国憲法」の発効と連邦政府発足による1つの独立主権国家の誕生
「1787年の夏、各州の代表がフィラデルフィアに集まり四ヶ月かけて起草したのがアメリカ合衆国憲法」「翌年7月までに11の州が批准して、発効」「1789年3月4日連邦政府が正式に発足、4月30日には新憲法の規定にしたがい・・・ジョージ・ワシントンが・・・初代大統領に就任」「さらに翌年2月、合衆国最高裁判所が・・・正式に開廷」
~主権国家形成から国民形成へ


なぜ憲法を制定したのか?~主権性の確保
「それは英国からの独立を達成したにもかかわらず、連合規約のもとでの体制維持にさまざまな問題が発生したから」(p.59)~徴税・通商・信用

○主権性の創造~徴税・通商・信用(信用確保のための行政と司法)
1)徴税
「第一に、連合規約のもとで議会には徴税権がなく、自身の財源がなかった。各州に資金の提供を求めることができても、強制はできない。」(p.60)~独立戦争の戦費負担
2)通商
「第二に、連合議会には通商規制権がなかった。・・・独立と同時に各州が独自の通商政策をとるようになり、さまざまな通商摩擦が生じる。・・・独立を達成したことによって、かえって通商問題が発生し、アメリカ全体としての通商活動が阻害。」(p.60)~交易・通商問題の発生
3)信用
「第三に、・・・各州の議会が、徳政令を発布して借金を帳消しにしたり、通貨を濫発したり、あるいは裁判所の判決を無効にしたり・・・。連合議会は独自の行政権も司法権も有しないので、州に対し命令を発してこうした政策を正すことができない。」(p.61)

○全会一致(「異論無き合意」)の機能不全~少数者の専制(異論の存在による決定不能)
「こうした状況を改善するために、連合規約の改正が何度も試みられるが、ことごとく失敗する。その最大の原因は、連合議会では各州がそれぞれ一票を有し、しかも連合規約の改正は全会一致でなければならないという規定の存在である。」(p.61)

○民主主義の行き過ぎと主権性・対等性
「いずれか一州が反対票を投じれば、改正はできない。」「全会一致規定自体、全会一致の賛成がない限り変更できなかった。」「各州は・・・それぞれ主権を有し対等である。」

○主権性の喪失
「各州が完全な独立を達成し、主権国家として何者にも左右されない民主的な共和政体を樹立したために、かえってお互いに身動きが取れなくなった。国王を取り除いた人々は、国王に代わる何らかの統合の仕組みが必要なことに、遅ればせながら気づく。」(p.62)

○立憲的行為
「連合規約のもとでは事態の改善が望めないと考えた一部の人々は、ついにまったく別個の新しい国家体制を構築(constitute)することを考え始める。」
「1785年、ヴァージニアとメリーランドのあいだで、両者の境を流れるポトマック川の水運に関する合意が成立する。この成功に味をしめた両州は、より一般的な州間の通商問題に関する会議を、他の州をも招いて開催することにした。」「1986年9月メリーランド州アナポリスで、5州の代表が集まる。そしてこの会議で、ニューヨークの代表アレキサンダー・ハミルトンとヴァージニアの代表ジェームズ・マディソンが音頭を取り、87年の5月にフィラデルフィアで各州の代表が、『連邦政府の憲法を、連合の緊急課題に対処しうる内容とする』ために集まることが決まった。」

(p.63-64)
○革命的行為としての制憲議会
「参加者はまず、討議の非公開を決定する。」
「次に代表たちは連合規約にとらわれず、まったく新しい連邦政府樹立を討議することに合意する。」(p.65)(「実は、連合議会は、フィラデルフィア会議の議題を連合規約の改正のみに限るよう命令していた。また、代表の多くは出身州の議会から、それ以外の議題を討議するなとの指示を受けていた。」「ところが会議が始まってすぐに、参加者はこれらの命令を無視した。」)

○非合法行為としての立憲行為
「そもそも連合規約には、制憲会議開催についての規定がない。しかも憲法草案が完成した際には、連合規約が定める連合会議での全州一致の投票による改正手続も、各州議会での承認手続も、一切取られなかった。」「そのかわりに各州で州民投票が行なわれ憲法会議が召集されて、批准がなされる。」「しかも、全州一致ではなく、九つの州による批准によって、新憲法は発効する。」(p.65)

「全会一致主義」から「多数決主義」への転換←!!

○制憲議会の争点
1)徴税権と通商規制権については異論がなかった
2)独自の行政府を設け執行権を与えることにも異論はなかった
3)州に対する次の行為の禁止(通貨鋳造、契約無効、徳政令発布、遡及効を有する法律の制定、関税賦課などを禁止する規定)=信用しうる政府(債権者にとって信用しうる政府)

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